結城ななせさんワークショップ

秋の美術展出品者。東北芸術工科大学出身。現在、山形県鶴岡市で「やまがたこどもアトリエ」を主宰している結城ななせさんが「八色の森の美術展+八色の森の子ども絵画展2017」の前哨戦として、ここ南魚沼市でワークショップを開催してくれました。まずは第1回目。

6月29日(木)浦佐小学校3年生 クラス別に各2時限 合計46人
6月30日(金)浦佐小学校4年生 クラス別に各2時限 合計51人

子どもたちには、布を使って抽象絵画に挑戦してもらいました。筆やハケ、足の裏、手のひら、中には鼻の頭や後頭部を筆代わりにする子どももいて、全身絵の具だらけになっていました。後日、A3サイズの木枠に布を張り付けて作品を完成します。また、地元の画家・井口優さんが200号のキャンバスを提供してくれましたので、これにも挑戦。楽しい2日間でした。

7月19日には南魚沼市総合支援学校小学部22人と赤石小学校6年生10人の交流授業、20日には後山小学校(全校児童11人)でワークショップを開催します。

(池田記念美術館・高橋)

 

市川和英展の展評記事(新潟日報)

5月16日から27日まで神宮前の色彩美術館で開催された「市川和英展」の展評が「新潟日報」2017年6月6日(火)朝刊の文化欄に掲載され、美術評論家の藤嶋俊会氏が「平面、立体の区別を超えた地点を目指す」作品として紹介していました。市川和英さんは今秋開催の「八色の森の美術展」出展者。1953年生まれ、長岡市出身です。

(池田記念美術館・高橋)

八ヶ岳の麓から(海發準一)

6月初旬、海發準一さんから極上エッセイ7本が突然、八ヶ岳の麓からメールでとどきました。海發さんは小千谷市出身。八ヶ岳のアトリエで薪割りをしながら、コトバを紡ぎ、磨いていたのですね。

(池田記念美術館・高橋)

 

エッセイ①

八ヶ岳南麓に引っ越したのは、自力でアトリエを建てるのと
折しもの出版不況が重なった6年前。

中之島の共同アトリエを出たのは約30年前だから、随分遠回りしたなぁというのが本音だ。
アトリエを建てる喜びというより、今ここで動かなければ二度と生きた人生は巡ってこないだろうという強迫観念とも予感がした。
インターネットの普及は予想より遅かったけど、これがなければ山の中でデザイン仕事(金は稼がないと)できないからね。
日本の構造改革は遅いですな、それでも、なんとか間に合ったけど。

結局この30年間、映画一本つくるので精一杯、最後のリニア編集かも。
映画には表現者としての自己同一性にこだわりもなく、
ファンとしてブラザーズクエィのスタイルを真似て15分の映画を作ったものの、
徹夜の連続で満足の出来とはいかず、
関係者からの「君は日本のブラザーズクェイだ」という言葉を最大の賛辞と受け取り、今もそのまま。
良いアイデアあるから、できればもう一本撮りたい。

あの頃、同級生だった大学生や高校生はどうしていることやら?
自殺した子もいるけど、プロの映画監督になったのは棚田入月だけかな?
いつの時代も若者は不安定で悩んでいた。悩みの大きさは同じ、ただ対象や状況が違うだけ。
映像の仕事をしてる人も他にいるだろうけど、この世界は資本や人間関係など現代美術界より大変だし、実験映画となるとなおさらだ。

高橋さんも自分も今日まで決して平坦だったとは言い切れない七転び八起き、
七転八倒じゃなくて良かったけど。
銀座の大衆酒場「八起き」ってまだあるのかな?

そんなわけじゃないけど、なぜだか八並びの
八ヶ岳、八海山、八色。
小学生から高校まで校歌には必ず八海山が詠まれていたね。
大人になってからは謳わずに飲んでばかりだけど。

「八」は末広がりで縁起が良いし、沢山という意味もある。
美術家主導の大規模展覧会って、そうはないだろう?
初年度は30人だけど、こりゃ80人か88人になったりして!

八百万の美術家が集まり、大酒宴開く大きなイベントめざします。
馬鹿囃子(関東近辺では昔から名もないお囃子をそう呼んだ)で飲んで踊り、

秋の魚沼は「八色の美有月」と呼ばれるかも。

 

エッセイ②

春山の美しさは殊の外で、絵描きなら(特に日本画)絵の主題になりますが、
ブナやナラの新緑の芽吹きと山桜の淡いピンクが、春霞みに生きる喜びと生命の力強さを感じます。
そして日一日と緑が深くなり、緑の濃淡が山に奥行きや深みを与えます。
と、ここまでは普通。

この春山の淡い美しさと緑の濃淡による奥山が作り出すその間に、1日か2日特別な日があることを今年発見しました。
いやーびっくり。
近頃絵画を語るに、一般的には死語となりつつある「バルール」が、我々には語られます。
「バルール」とは普通は「色価」と訳されるけど、ちょっとわかりにくい。明度と濃淡だけとも違う。
色と色の関係から、その相関関係から生まれる平面上の空間位置やバランスのことなのだが(異論あるかも)。

とにかく色により位置が生まれる。
「バルールがあっている」とか「バルールがくずれている」とか言うわけです。

自然界では、平面とは違って実際の空間・奥行きがあるわけだから、自然界でバルールが狂っていることはありえない。
空間は距離で実在する、賑やかで猥雑な都会はそれはそれでバルールが合っている。
文教地区に、どぎつい看板や風俗があればバルールは合わないわけです。

にもかかわらず、1日か2日は、星新一のショートショートじゃないけど、
空からカドミウム・グリーンがべったり降ってきて手前も奥もぜーんぶ同じ色価になる瞬間があった。
実在空間のボナール。三次元の二次元化?

実在するはずの空間が、視覚的には(錯覚だとしても)平面化=空間の均質化して見えます。
そのくらい緑がナマナマしい。光もあるし条件が厳しいかもしれない。
それと老眼が酷くなったか? 衰えた視覚の錯覚?

全く奥行きがない緑のカーテンで空間が閉ざされた、摩訶不思議な1日でした。
とてもボナールな風景でした。

 

エッセイ③

新潟弁(魚沼)では「嘘」を「ゴッド」と言います。
「嘘言わないでください」は「ゴッド言うなて」となります。
あるいは「イ」を「エ」と発音し、「エ」を「イ」とも書きました。
國語元年以前の話ではありません。

しかし「ゴッド」は英語では「GOT」なので「神」です。
新潟では神は「嘘つき」という事になります。
まぁ真理かも。新潟には真理があちこちに偏在しているようです。
これは本当です。

ちなみに「ほんと?」は「ほっけ?=肯定的意味」。法華宗でも魚の開きでもありません。
「うそぉ?」は「うっすぅ?」
やはり越後では信仰心があついのか? 疑り深いのか?
「ほっけ? そういやんだぁ=ほんとに? そういうことなんだ」などと神仏織り交ぜて疑り深いかもしれません。

それから「コッツォネ」や「コテ」などとも言います。
これは「貴方がいう事が正しいです」を「おめさんが、ゆーことが正しいコッツォーネ」という感じ。
でも、もう少し町中の言葉では「おめさんが、ゆーことが正しいコテネ」となります。

いずれにせよ新潟弁はオシャレなイタリア語に似ているわけです。
南か北かでイタリアはヨーロッパとアフリカの違いはあるけど。

あと恥ずかしいことを「しょうしぃ」と言います。長野県は教育県なので「お」をつけて「おしょうしぃ」と言うそうです。
オシッコが漏れたわけではありません。
「トイレは、もう少し先に」などと案内しないように

笑いながら「しょうしぃー」とか「しょうしぃーやー」などと
さきほどのコテと合わさって「しょうしぃーこてや」とも言ったりします。
さらに「とても」を「コッテ」とも「ゴーギ」とも言います。
なので「とても恥ずかしい」は「コッテしょうしテ」になります。

コテコテですね。

町内によっては次男を「オジ」、ご主人を「あんさま」
奥さまを「あねさま」、長男を「あんにゃ」などとも言います。
どんなぐあいですか?は「なじらね?」と言ったりします。時間を聞いているわけではありません。
年頃の可愛い女の子も自分のことは「おれ」だったなぁ。

話し言葉を書き言葉にすると、
「おら、なにゆーてらんだが、いっこわからんくなってきたこて」となりました。
言葉は地域内でも違いますから、
「おめさん、どこんしょだね?」と聞かれるでしょう。
「ちゃーざーむらの隣だこて」と言うことになるでしょう。

 

エッセイ④

自分が育った小千谷はその昔、魚沼の中心地でした。中心と言っても二市三郡の真ん中にあるのではなく北の端っこ。
そこに地方財閥の西脇家(西脇順三郎の本家)を中心に、地方行政の役所や銀行が集まっていたのです。
小千谷の町は、ほとんど全部西脇家の土地で、皆地代を払っていました。

要するに役人が冬の交通の便を考えると、雪が深すぎて魚沼三郡や十日町には役所を置けなかったのでしょう。
国鉄の工事局もあったし、総合病院が二つ、国立療養所が一つ、伝染病院も伝電の基地局もあった。
税務署もあり面倒くさかった。

当然、花柳界も賑やかで大小の小料理屋や料亭があり、芸者置屋だけじゃなく町外れには赤線青線廃止以前は大きな遊郭もあったわけです。
町は紺屋の染物の匂いに、自動織機のガチャガチャいう音で喧しく、定時制に通う中卒労働者にあふれていましたね。

由美かおるが「信濃川」という映画のロケで小千谷高校と小千谷本町の雁木でロケしたときは、
私たち生徒は授業にはでず自主的に社会科見学したものです。
ちなみに多摩美に入学したら、そこでも由美かおるが自分を待っていました。
「夕陽ヶ丘の総理大臣」?とかいう中村雅俊のテレビだったかな?

母親の実家も含め親戚の機屋三軒は倒産やら廃業で皆止めてしまった。
それでも先日NHKの番組「いっぴん」でよく見た景色だと思いきや、小千谷実家の隣の家じゃん!
お隣の機屋の幼馴染は伝統工芸師となり「小千谷縮」で頑張っているらしい。

小千谷人は変わっていて、凧揚げのタコをイカと言います。
これはワザと言ったのだと思うけど、
上説の賑やかな花柳界と酒ばかり飲んでる旦那衆のせいかもしれませんが「小千谷のイカ=凧」は盃の形です。
盃凧といいます。もうだれも作っていないでしょう。
廃業した新潟で三本にはいる料亭「東忠」の玄関に飾ってありました。

旦那衆はよく酒を飲み、茶道も盛んでした。
お茶をやっていないと旦那衆の仲間に入れない、古い制度が幅をきかせた社会だったのです。

大人になったら芸者さんあげて料亭で楽しい宴会するもんだと思っていたけど、先立つものがありませんね。
変わっていくもの、意図して残していくもの、文化は生き物のようです。

 

エッセイ⑤

新潟は日本で一番神社が多いと聞きます。
県社は新潟市の白山神社でしょうか?
日蓮や親鸞も佐渡や越後に流されてきたのに神道が多いんですね。

一宮は弥彦神社。
二宮は魚沼神社で(上弥彦神社ともいいます)、小千谷はそれの門前町です。
二宮のほうが創建は古いと聞きます。
信濃川が越後にはいると魚野川や刈谷田川の支流も合わさって
暴れまくり、水田も胸までつかる泥沼だったのです。今も刈谷田川は川底の浅い暴れ川ですが、
超大規模の二重堤防が完成したから洪水になっても、さすがに住民は守られるでしょう。
そんな地の利もあって二宮のほうが古いのじゃないか?

魚沼にはいたるところに十二神社があります。

小千谷にも白山運動公園というところに、廃社になってるけど白山神社がありました。
本殿のあった林は結界とされ、立ち入り禁止だったが今はどうなっただろう?

我が家は白山神社と国分尼寺・五智院の御用鍛冶と伝え聞きます。
本家の従兄弟は新潟で三番目に古い会社起業が自慢でした。
千二百年前だそうな。

江戸時代に、貸鍬・貸鋤で儲けたようです。暖簾分けしなかったんですね。
農業と密接だったので、2月の初午のお祭りは盛大でした。

お稲荷さんに繁盛祈るため
町内中の子供を集めて、ご馳走を振る舞いました。(西脇順三郎がエッセイで子供のころ楽しみだったと)
坊主が来て、なんだか意味不明のお経読んで不気味な祭りだった。
坊主言うに「仏さまとお稲荷さんは仲が良いんだ」と。
その昔の火事で半分焼けた、お稲荷さんの幟や不気味な人形を前に言われても、
お化け屋敷が家の中にあるようなもの。

だいたい、ウチの宗派の坊主じゃないんだけど?

良寛さんと貞心尼じゃないけど、新潟は尼寺が多いです。

安寿様と言いましたが、出家はしたけど正式は僧籍じゃないのじゃないか?(不明)
安寿様が方丈様になられたというのを聞いたことあります。
女性がわけあって剃髪するか? 瞽女になるか?
そこには、辛くて悲しい歴史があるのかもしれません。

神社仏閣が多いのは、それを証明しているのかも。

 

エッセイ⑥

徳川家康は最後まで上杉を恐れたと伝え聞きます。
遺言で東北封じと関八州の鎮守となるべく日光に分霊された。

魚沼神社は上杉謙信が出兵する際に必ず戦勝祈願したことで有名。
謙信は小千谷のあたりで信濃川を渡ったと聞きます。(別な場所という人もいるし、塩沢にも魚沼神社があります)

だから、小千谷の信濃川川べりの西岸に「二荒神社」が渡らせまいと鎮守しているのか?(ここは日光から見て北辰の方向)
東岸にも小さな別院が幾つか祀られていて用心深い。

春の祭りでは、魚沼神社から天狗がわざわざ二荒神社に挨拶に出向く。
そして追い返される。

江戸時代、小千谷は天領だったり、支配者が変わるけど、上杉移民一揆が恐ろしかったのか?

二荒神社は東北封じと関八州の鎮守。
魚沼神社は天狗と化身して恭順の挨拶が毎年繰り返される。
この祭りを、大きく盛大にすれば良いのに、そうはならなかったのは徳川の呪いか?

その後、戊辰戦争で長岡、会津、桑名残兵が激戦後、ボロボロ越後に入ったが、
軍隊で一番住民に優しかったのは米沢から来た上杉兵だったと。
謙信公の所縁の地、ふるさとにたいして格別の思いがあったと。

小学生のころ、友達と自転車で国道17号を下り信濃川対岸の朝日古戦場に行った。
司馬遼太郎の小説「峠」の現場で、今は整備されているけど当時は山道だった。
山に登ったら等高線にそって塹壕が掘ってあった。

その塹壕の中を歩くと、ところどころ土の色がドス黒く染まっていて、
子供心に、嗚呼ここで人が死んだと直感!

急に怖くなって、泣きそうになりながら駆け出して山を降りた記憶がある。
その怖さを、誰に言うわけでもないのに、
クマが出そうだったから逃げたんだと自分に言い聞かせたのは、
感じた直感があまりにリアルで恐ろしかったからかな?
自分でもわからない。

山岳宗教の修験者は八海山で苦行したあと、
小千谷の湯殿川で身を清め月山に向かったとも。
山形とも縁があったのだろうね。

 

エッセイ⑦

小千谷と山古志の闘牛が古いのは滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」でした。
幼い時分に見た牛は、とても大きくて怖い。

今見ても同じ感想ですが、とにかくすごい。
小千谷の闘牛は牛が大きこと、試合で決着をつけないこと、勢子の人数が多いことが有名です。

人間がやる隠岐の古式相撲も同じ、二番とって二番目は先に勝ったほうが負けて終わる。
狭い社会では暗黙の了解があり、そのことのほうが人生にとってリアルな制度で装置だった。

戦場で名乗りをあげて名誉を懸けている間に、名もない雑兵に槍でブスリというのは日本だけでなく
世界中で起きた戦いの革命・近代化だったようです。

「命を惜しむな、名を惜しめ」などと言ってられません。
保元の乱の言葉と言われているから古すぎるかも? でも、その意味はわかる。

相手がわからないだけ! つまるところ、言葉や価値を共有していない文化外対立なわけです。

少年マガジンで「空手バカ一代」が連載され、折しもブルース・リーの映画の影響もあり、フルコンタクト空手が全盛になりました。
梶原一騎の創作に嘘ばかりと嫌気がさした作画の「つのだじろう」が担当下りて、
次に連載したのが「うしろ百太郎」と「恐怖新聞」。
リアル・フルコンタクト空手より心霊世界のほうが「つのだ」にとってはリアルだったというのが、おかしい。

極真魂は見ていて凄いし、皆真剣。
だけど時代は変わりますね。あれだけ「寸止め空手」とか言って揶揄していたのに、
松濤館、全空連の伝統派空手(守りや捌き主体)がオリンピックの競技に採用されたら、

フルコンやっていた人たちが、全空連の道場で稽古している昨今ですから、隔世の感ありです。

テコンドーって実は松濤館空手から生まれた格闘技、外国人は本当の経緯知らな人が多いですね。
伝統派空手・琉球空手の奥深さと歴史・実力知ったら皆感動すると思います。
型は素晴らしいですよ、早くてカッコイイ! こんな人を襲いたいと思わない。

「八色の森の子ども絵画展」公募チラシ

「八色の森の子ども絵画展」の公募チラシのPDF書類です。デザインは海發準一さんです。制作にあたっては、大嶋彰さんにご協力いただきました。なお、公募作品の大きさは「四つ切り画用紙サイズ」となっていますが、「四つ切り画用紙サイズ以内」に変更させていただきます。

(2017年7月4日 池田記念美術館・高橋)

八色の森の子ども絵画展・公募チラシ表面

八色の森の子ども絵画展・公募チラシ裏面

展覧会開催にあたって

八色の森の美術展+八色の森の子ども絵画展2017
未来に繋ぐ絵画考

実行委員長・海發準一

今秋、新潟県南魚沼市にある池田記念美術館(愛称:イケビ)を会場として、東京をはじめとする首都圏、和歌山県、山形県、ドイツなどで活躍する現代アートの作家を30名招いて「八色の森の美術展」を開催します。同時に、小学校・総合支援学校小学部の子どもたちから抽象絵画を公募・展示する「八色の森の子ども絵画展」を併催いたします。

① 上記二つの展覧会は次年度以降も継続して開催します。そのことによって、「秋はイケビで現代アート!」の標語をブランド化させ、全国に発信。現代アートの発表の場として全国屈指の展覧会に育て上げることはもちろん、若い芸術家にとっての登竜門の場としても、この展覧会を位置づけたいと思います。

また、「八色の森の美術展」+「八色の森の子ども絵画展」を継続開催することによって、南魚沼地域への集客拡大はもとより、教育・医療+芸術の町として、当地域が住みたい町・帰りたい町に変貌を遂げる一助にしたいと考えます。将来的には、現在南魚沼市で進行中のCCRC構想(Continuing Care Retirement Community,アクティブシニアタウン)と連携し、芸術家の定住またはアトリエ誘致につなげ、芸術の力で地域づくりに貢献したいと考えます。

② 現代アートの最前線で活躍するプロの作品と子どもたちの公募作品を美術館の壁面に対等に展示し、相互に批評することによって、子どもたちの芸術への興味・関心・向上心を高め、膨大な情報世界で身動きがとれなくなっている子どもたちに、自分の力で意味や形をつくる喜びを提供したいと考えます。「秋はイケビで子ども展!」のスローガンを定着させるべく猪突猛進し、世界に通用する芸術家をぜひとも魚沼の地から誕生させましょう。

今回の展覧会に参集いただいた方々に心より感謝申し上げるとともに、展覧会の成功と継続に向けて、皆さま方からの絶大なるご支援をよろしくお願い申し上げます。

雨に霞む八海山。

2017.7.1美術館エントランスホールから2017年7月1日13時49分撮影

これからの音を楽しむ集い

池田音楽クラブメンバーによる無料のコンサート

開催日: 7月16日(日)と7月23日(日)

音楽クラブメンバーが演奏する音楽会です。

7月16日(日)

11:30~ 「月例音楽会:フルートとピアノの演奏」

 クラシックだけでなく叙情歌やディズニーミュージック、季節の曲などを演奏します。お子様から大人まで楽しめる音楽会です。

7月23日(日)

14:00~ 「フォークソングの日」

 昭和の時代にタイムスリップしたかのような懐かしいフォークソングを演奏します。青春時代にもどって一緒に口ずさみませんか。

演奏の最後には会場の皆さんと一緒に「ふるさとを」合唱しています。

 

※ 日時や演奏内容は当日変更することがあります。詳しくは当館までお問い合わせください。

 

「かぐわしき風の中で—猪爪彦一展」初日です。

2017.6.17美術館エントランスホールから2017年6月17日14時18分撮影

かぐわしき風の中で-猪爪彦一展-

詩的で幻想的な油彩画をお楽しみ下さい

開催期間: 2017年6月17日(土)~7月18日(火)

油彩画家・猪爪彦一氏の個展です。行動美術協会会員、新潟県美術家連盟理事。1981年、行動美術展・行動美術賞受賞。84年、安田火災美術財団奨励賞展で新作優秀賞を受賞。詩的で幻想的な油彩画をお楽しみ下さい。

 

【関連イベント】

ギャラリートーク  6月17日(土)14:00~

池田記念美術館美術講座
 猪爪彦一先生と描く~音楽と絵画~
 7月15日(土)13:00~ 参加費:1,000円(入館料込)
 猪爪絵画では、音楽はインスピレーションの源泉です。
 猪爪先生と一緒に、音楽を聴いてそこから生まれたイメージを絵画にしてみましょう。
 ※この講座には申込みが必要です。

inotume-isu

 

 

 

 

 

 

『椅子のある風景』

 

猪爪彦一 略歴

1951(昭和26) 新潟市に生まれる
1981(昭和56) 「第36回 行動美術展」行動美術賞
        「第10回 新潟県芸術美術展美術家連盟10回展」記念賞
1982(昭和57) 「第25回 安井賞展」<以後8回出品>
        「第37回 行動美術展」安田火災美術財団奨励賞
1984(昭和59) 「第1回 青年画家展」(日本橋三越)<以後5回出品>
        「第3回安田火災美術財団奨励賞展」新作優秀賞
1990(平成2) 「第1回 両洋の眼現代の絵画展」(日本橋三越)<以後5回出品>
1999(平成11) 「7の視覚展」(井上画廊/東京)<以後9回出品>
2007(平成19) 「漂泊の位置展」(ギャラリー風/東京)<以後毎回出品>
2010(平成22) 銅版画作品集「夜の風景」(羊画廊)刊行
        「物語の絵画」展出品(新潟県立万代島美術館)
2011(平成23) 「猪爪彦一の世界 幻想の銅版画展」個展(弥彦の丘美術館)
        「新潟の画家たち」(新潟県立万代島美術館)
        「子どものためのてんらんかい」(新潟市美術館)
2012(平成24) 「みんなでつくるコレクション展」(新潟市美術館)
        「びじゅつのあそびば」(新潟県立万代島美術館)
        「新進作家5人展」(米子天満屋 3F美術画廊/鳥取)
        「GUN 新潟に前衛があった頃」(新潟県立近代美術館)
2015(平成27) 「黄昏の国より 油彩展」個展(弥彦の丘美術館)
        「公募団体ベストセレクション美術2015」(東京都美術館)
        「文化ウィークin青島 水彩画美術作品展」(中国青島市美術館)
2016(平成28) 「猪爪彦一 VS 関根哲男」(ゲットムーギャラリー)
        「にいがたアートサーカス」(旧大和新潟店 2F)
2017(平成29) 「かぐわしき光の中で 猪爪彦一展」個展(ギャラリー風/東京)
        「第20回木の会」(鈴木美術画廊/東京)<第1回より出品>


現 在 行動美術協会会員 日本美術家連盟会員 新潟県美術家連盟常務理事
新潟市美術協会理事 県展運営委員 新潟市在住

梅雨入り前の爽やかな午後です。

2017.06.09美術館エントランスホールから2017年6月9日14時40分撮影